那覇空港から車で約33分。浦添市の国道58号線と沖縄自動車道の中間あたりにある広大な公園内にある史跡です。なんと琉球王朝統一以前、まだ権力者の拠点がこの浦添にあった頃の史跡なので歴史的にもとても価値のあるものとなっています。
ポイント1:『浦添ようどれ』のロケーションは?
『浦添ようどれ』は、広大な浦添大公園の中にあります。なだらかな丘陵地になっており、公園の入口から10分ほど山を登ります。
大公園の中には美術館やスポーツパーク、広場もあり、浦添グスクにとなりあって何個かの『ようどれ』が並んでいます。
いちばん高いところには、なんとあの首里城も見えるスポットもあります。なんと普天間基地もすぐそこに見下ろせます。
実はここ『浦添ようどれ』は琉球王朝の権力者の拠点が首里城に移る以前の拠点で、沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷などの学者の論文「浦添考」にもそのように記述されています。
これは、まだ琉球王朝が首里城に移される前、琉球王国の英祖王が13世紀に築いた陵墓で、浦添生まれの尚寧王が16世紀に改修し、2人の王の一族が葬られています。「ようどれ」とは夕凪を意味する琉球の言葉で穏やかなイメージから「墓」の意味として使われています。
自然洞窟を堀削して造営され、沖縄の墓造りの原型になったとも言われています。
那覇空港から車で約33分。
ゆいレール「浦添前田」からは徒歩20分ほどかかります。
バスの場合は意外にもYKB888やんばる急行バスで「嘉数」下車徒歩18分、琉球バス190番でも「嘉数」で下車すれば、徒歩17分程度で乗り換えることなく到着できます。
ポイント2:『浦添ようどれ』の概要と歴史紹介!
12世紀頃、琉球王朝統一以前の沖縄は各地域に農業集落ができていて、按司とか世の主のようなリーダーが出現し、最終的には南山、中山、北山の三山になります。
浦添城跡北側中腹にある、『浦添ようどれ』は、そのうちの中山時代に英祖(えいそ)王(在位1260-1299)と尚寧(しょうねい)王(在位1589-1620)の陵墓で、時代を隔てた2人の王が隣り合って眠っています。
向かって右側には中山を治めていた英祖、左側には、ずっと時代は下って第二尚氏王統の尚寧とその一族が静かに眠っています。
尚寧は、傍系とされた浦添家にありながら第二尚氏王統の王位につきましたが、17世紀初頭に薩摩侵攻をうけ、連行され、実質的に独立国としての地位を失うという過酷な時代を過ごした王です。
薩摩藩に捉えられ、独立国としての地位を失ってしまったのが大きかったのでしょうか?
本来であれば、首里の玉陵に葬られるべき身分でありながら、なぜか浦添ようどれに葬られています。
さきの戦争では米軍に破壊され、近年になってからも改修されており、2024年には沖縄県民の誇りである『浦添ようどれ』に落書きするという悲しい事件が起こりましたが、犯人は逮捕され、現在では史跡は復旧され、また平穏な日々を送っています。
琉球王朝の時代から数回の改修を行っただけですがなだらかな美しい石垣を保っており、歴史的に見ても日本の築城文化ではなし得なかったような文化的で雅な姿を私達の前に現してくれています。
またこの地を訪れる人は日本人よりもむしろ外国人が目立ちますが、この地をテーマにしたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」も存在することから、関心が高いものと思われます。
ポイント3:『浦添ようどれ』隣接する「ようどれ館」も必見!
「ようどれ館」は、浦添城跡に隣接している『浦添ようどれ』英祖王の墓の内部が実物大に再現され、3つの石棺や出土した遺物などが展示されています。
高校生以上100円、市外の小中学生50円で、浦添市内に住む小中学生は無料です。また、障がい者手帳の提示で本人及び介護者は無料となっています。
王朝以前の出土品や、舜天、英祖、察度の3王朝に関わるもの、沖縄戦における史料などが展示されており、歴史的に見ても非常に価値が高い、琉球人だけでなく日本人として見るべきものとなっています。
『浦添ようどれ』の墓の内部は非公開なのですが、ここ「ようどれ館」では、なんと、墓室(西室)を完全再現していて、琉球王朝時代の王の偉大さを計り知ることができます。
また、遺骨を入れる厨子は県の重要文化財とされており、隣接する浦添美術館で時々展示会が開かれたりするようです。
本来ならば首里城に祀られるべきほどの地位をもった英祖(えいそ)王と尚寧(しょうねい)王の墓が並ぶ『浦添ようどれ』は、首里城に比べると知名度も規模も小さいですが、歴史的にも価値がある展示品やすばらしい城跡に絶景が見渡せる景色、そして風情があり隠れた名所と言えます。ぜひ一度足を運んでみてください。