旧日本軍のトーチカが残る丘から平和を祈る
沖縄戦の激戦地だった宜野湾市の嘉数集落に小高い丘があります。
嘉数高台と呼ばれるこの場所にはかつて日本軍の陣地が構築され、北から進軍してくる米軍の間で激しい戦闘が行われました。
そして戦後、丘から望む景色は一変。
のどかな田園地帯だった場所には広大な米軍基地「普天間基地」が築かれたのです。
頂上に残るトーチカで戦った兵士は、何を守り、亡くなっていったのでしょう?
世界で最も危険と言われる普天間基地を眼下に見ながら、本当の平和とは何かについて考えてみてもいいかもしれませんね。
地球の形の展望台
駐車場から長い階段を上った先には、可愛い地球型の展望台があります。
世界の平和を祈ってデザインされたこの展望台の上に登ると、沖縄本島の中部地区全体が見渡せる絶景!
眼下には移転問題で揺れる普天間基地と配属されているオスプレイが見えます。
ニュースでよく見る普天間基地の映像も、ここから撮影されることが多いのだとか。
その先に伸びる北谷〜読谷の海岸線は1945年の沖縄戦における米軍の上陸地点。
ただ眺めが良いだけではなく、沖縄戦から現在に至るまで沖縄が辿った「歴史」を感じることができる場所ですね。
旧日本軍のトーチカ
広範囲が見渡せる好立地を生かして、この高台には沖縄戦の時、日本軍の強固な陣地が構築されました。
入ることはできませんが、この丘の地下には網の目状に掘られた地下陣地も残っているそうです。
展望台の脇にあるコンクリートの建造物は、迫り来る米軍を射撃したトーチカ。
米軍からの激しい反撃によって表面のコンクリートは失われ、ボコボコしています。
中は狭く薄暗い空間。
当時の兵士達はどんな気持ちで、この中で戦ったのでしょう。
なぜここに? 京都の塔
沖縄観光に来た人が必ずといって良いほど訪れるのは、糸満市にある平和の礎。
全国から日本軍に召集され、沖縄で亡くなった方々の慰霊塔が県ごとに建立され並んでいます。
しかし平和の礎には、京都府の慰霊塔はありません。
あるのはここ嘉数高台。
展望台から50mほど離れた場所にひっそりと佇んでいます。
ここに配属されたのは、京都で召集された部隊。
激しい戦闘で、なんと全滅してしまったとのこと。
また嘉数集落の住民の方々も戦闘に巻き込まれ、たくさん亡くなっているそうです。