「識名園」で琉球の歴史を理解できます
識名園は、琉球時代の王族の保養と冊封使(さっぽうし)をもてなすために1799年に建築されました。
沖縄戦で壊滅的な被害を受け、戦後に長い年月と8億円ともいわれる莫大な費用をかけて再建され、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界文化遺産に登録されました。
中国と日本と沖縄の文化を融合し、心字池を中心とした美しい庭園は、あまり混雑していないので、歴史に思いをはせながら、のんびりと散策できます。
ポイント1:琉球と中国との関係を深く理解できる
琉球王朝時代、琉球の国王が変わるたびに中国の皇帝に認めてもらう関係にありました。
冊封使(さっぽうし)とは、中国の皇帝の使者です。冊封使は、400~500人の使節団で、風向きが変わって船が出航できるまでの間、琉球に半年くらい滞在しました。様々なおもてなしが必要だったのです。
御殿(うどぅん)は靴を脱いで見学することが出来ます。
一番良い部屋から座ったままで、美しいお庭を眺められるなど、隅々にまで、おもてなしの心が溢れています。
ポイント2:中国、日本、琉球の文化が融合し調和する
心字池は日本でよく見られる庭園の作りです。池に架かる橋は琉球石灰岩で作られ、東屋は中国風の建物です。
それぞれの文化に敬意を払って、取り入れることで単なる融合ではなく、美しい調和となっています。
識名園は、池の周りをぐるっと回れる回遊式庭園となっています。
琉球時代には、池に船を浮かべたり、花火を打ち上げるなどの、おもてなしをしました。当時の様子が目に浮かぶようです。
ポイント3:勧耕台からの眺めが美しい
庭園にはソテツやランタナ、でいごなど沖縄らしい植物も植えられ、手入れが行き届いているので、いつでも美しい花々を見ることが出来ます。
順路の案内の先には勧耕台(かんこうだい)があり、見晴らし台になっています。
海が見えないように作られていて、海が見えないことで、冊封使に琉球を広い国であると思わせ、田んぼに映る夕日を見せて郷愁(きょうしゅう)を誘いました。
今でも美しい眺めであることに、変わりはありません。王族や冊封使はどんな風景を眺めていたのでしょうか。歴史に思いをはせたくなります。
コメントを残す