『集団自決跡地』で悲しい歴史を繰り返さないよう祈りを捧げる!

基本情報

店舗名
旧海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)
住所
沖縄県豊見城市豊見城236
電話番号
098-850-4055
営業時間
9:00~16:30
定休日
サイトURL
http://kaigungou.ocvb.or.jp/

沖縄戦で最も悲惨な場所と呼ばれた地

沖縄県と言えば、第二次世界大戦中、アメリカ軍が唯一上陸し、地上戦が行われた場所です。そのため、沖縄県には数多くの悲しい歴史を後世に伝えるスポットが数多くあります。

代表的なものにひめゆり学徒隊を後世に伝える「ひめゆりの塔」や南部戦線の跡地である平和祈念公園、旧海軍司令部壕がありますが、沖縄県渡嘉敷島にある集団自決跡地も沖縄を代表する戦争遺跡の1つです。

ポイント1:沖縄戦始まりの地に残る悲しい歴史

沖縄県に米軍が上陸したのは、1945年3月26日。上陸地点は、沖縄県慶良間列島です。この集団自決跡地のある渡嘉敷島もその1つであり、沖縄戦始まりの場所とも言えます。

アメリカ軍の艦船1,500隻と、約54万人の圧倒的な兵力を前に、追い詰められた日本軍と渡嘉敷島民が、島の北端にある北山(ニシヤマ)に追い詰められ、およそ300人が集団自決した場所が、この集団自決跡地です。

当時は「鬼畜米英」という風に、米国に捕まったら男性は強制労働させられ、女性は凌辱されると言われていた時代です。

「米国に捕まって辱めを受けるなら」と集団で自決した悲しい歴史を後世に伝える場所として今でも多くの観光客が訪れています。

ポイント2:ものものしいゲートをくぐりった先にある石碑

国立沖縄青少年交流の家の敷地内にあるので、ここで大体迷います。

敷地内のゲートをまずは見つけましょう。

集団自決跡の入り口にはものものしいゲートがあり、自分でゲートを開けて入ります。そして少し歩いた先にあるのが、観光ガイドなどによく掲載されている「集団自決跡地」と書かれた石碑と渡嘉敷村から送られた記念碑です。

ポイント3:石碑周辺、石碑の裏側が集団自決の現場

石碑の周辺もしくは、石碑の裏側にある薮の中が集団自決の現場になっており、薮の入り口には当時の状況を綴った解説板があります。

解説板によれば、アメリカ軍がこの場所を訪れた時には、あたり周辺に死体が折り重なったり、散乱したりしており、これを見たアメリカ軍のアレキサンダー・ロバーツ伍長は「いままでに目にしたものの中で最も悲惨」と表現したといいます。

薮の奥も行けるように道がありますが、入り口の注意書きにあったようにハブが出るらしいので、あまり立ち入らない方が懸命と言えるでしょう。

このような悲しい歴史を繰り返さないためにも、自決した方々の冥福を祈り、繰り返し悲惨な戦争を起こさないように心がけていきたいですね。